ハナミズキ街道
ハナミズキ 街道 雨に濡れた美しいハナミズキ
桜の花もすっかり散りました。遅さきの八重桜は公園では2本満開です。
稲葉地公園の西通り、同朋大学、鴨つけ郵便局の前通りは赤、ピンク、真っ白の
ハナミズキのハナが真っ盛り、雨に濡れて素晴らしい眺めです。
この通りはハナミズキ街道と呼ばれています。
目も覚めるような雨後の新緑早朝の公園散歩ハナミズキ街道の散歩 最高の喜びです。
バック処理を考えて何枚か撮りました。 20/04/19 浅野 由行
桜の花もすっかり散りました。遅さきの八重桜は公園では2本満開です。
稲葉地公園の西通り、同朋大学、鴨つけ郵便局の前通りは赤、ピンク、真っ白の
ハナミズキのハナが真っ盛り、雨に濡れて素晴らしい眺めです。
この通りはハナミズキ街道と呼ばれています。
目も覚めるような雨後の新緑早朝の公園散歩ハナミズキ街道の散歩 最高の喜びです。
バック処理を考えて何枚か撮りました。 20/04/19 浅野 由行
尾瀬湿原
尾瀬ケ原の散策(日光国立公園の一部)
親しい草枕の会より尾瀬散策のお誘いをうけました。
かねてより一度は是非尾瀬の湿原を散策して写真も撮りたいと念願
していました。 しかしいろいろの方々より余ほどの健脚でないと
相当に厳しく大変であるときかされていましたので、参加を迷いました。
早速幹事の方にその旨お話しまして伺いました。
尾瀬ケ原散策のコ−ス距離・所要タイムの詳細な計画書を頂き更に詳しく
お話をお聞きしました。
鳩待峠〜山ノ鼻間は標高差190m程の下り(帰りは登り)にて、尾瀬ケ原は
木道の平らなみちです。歩く距離は鳩待峠より見晴らしまでの最短距離で
9.3kmです。余り歩けない人は超ゆったりコ−スでAコ−スにて山ノ鼻付近
を中心に好きなだけ自由に散策が楽しめます。勿論山ノ鼻付近のみにても
尾瀬ケ原の景色、雰囲気は充分に楽しめますとお話を頂きました。
健脚で自信のある方は至仏山、平滑ノ滝、三条の滝に行かれる方はそれなり
準備して下さい。事前の体力を確認して挑戦して下さいと説明を頂きました。
B,Cコ−スの選択はよく検討して下さいとのことでした。
私と家内は良く考えて2人とも参加することにきめました。
結局いろいろの方々のアドバイスもあり腰も脚も充分でなく家内は止めることにいたしました。
21日22日23日の2泊3日の旅でした。23人、大型デラックスバスで8時出発、中央自動車道、長野自動車道、上信越自動車道、関越自動車道沼田のICで降りて戸倉温泉に16時半頃到着しました。
戸倉温泉少し前 片品川の吹き割れの滝を観光しました。
約30分ガイドさんが明日尾瀬散策の脚慣らしのためと話していました。
片品川の川底が長年月の間に変動して出来た全く落差の殆どない珍しい滝で
した。大勢の観光の人々で大変なにぎわいでした。水量は豊富、変わった眺め。
翌日戸倉温泉を6時30分小型バスに乗り換えて出発しまして約7時に鳩待峠
に着きました。
7時10分1591mの鳩待峠を出発尾瀬入り口の山ノ鼻1400m3.3kmの下り道
カメラ一式、防寒具、洗面具、三脚、杖での下り道はところどころ石ころみち
大部分は木道道で予想以上に厳しく大変でした。休み休みして2時間半ぐらいかけてやっと入り口につきました。Aコ−スは私たち9人他B,C,Dコ−スの
健脚で自信のある人達でした。
トリカブトの花 峠を降りるときに両側に可憐な紫の花が咲いていました。
全くカブトの姿にソックリでした。猛毒の花です。すれ違いの物知りらしき人
のお話では日陰の花は濃い紫色で、陽のあたるのは薄い紫色と話されました。
何枚も写真におさめました。
山荘は3軒ありました。
山の鼻山荘には若かったころの宿泊された皇太子様、また高松宮様のお写真が入り口に掛けてありました。
荷物は山荘においてカメラ関係とお茶弁当のおにぎりだけで待望の尾瀬沼の湿原を牛首方面にゆっくりとでかけました。
大勢の観光の方々で賑やかでした。まるで都会の雑踏ぶりでした。
花のシ−ズンは終わっていました。水芭蕉も葉っぱのみで残念でしたが、それでも尾瀬ケ原の草もみじが黄褐色に染まり池塘に写す秋の静けさ、白樺の白い幹、いたるところに池塘(高層湿原の池、草原が超年月に枯れて堆積して高くなり草原のない所低いままで雨水が溜まって池になる。)大小約1500箇所湿原の池があり睡蓮の花も咲いていました。
みやまリンドウの紫の花はとても綺麗で高層湿原の懐かしい花でした。
燧ケ岳、反対側には至仏山が姿をあらはし木橋をゆっくり歩き、写真も撮り
充分に尾瀬の湿原を楽しみました。
燧ケ岳(ヒウチガタケ)標高2356m東北、北海道では最高のお山との事。
至仏山(シブツザン) 標高2228m 健脚方の登山コ−スに入っています。
時々大きなガスボンベ、人の背倍ぐらいの荷物を担いだ人にあいました。
一切の車は禁止、全ての荷、生活用品は皆この方たちのお世話になっているのだそうです。帰って広辞苑で調べましたら歩荷(ボッカ)ということがわかりました。山を越えて荷を運んだり、山小屋に物資を運んだりすることを仕事とする人とありました。
強力は登山者の荷を負い山を案内する人で区別するとありました。
晩方はさすが冷えて寒く、少し小雨で本当に残念でした。本当なら満月で夕闇の尾瀬ケ原の写真も楽しみにしていましたのですが。
夕食を済まし暖かいお風呂に入り、ラジオ、TVもなにもなく疲れを少しでも癒したいと早く休むことにしました。
翌日も早朝少し小雨でした。6時に朝飯を済まし7時前山鼻山荘を出発して鳩待峠に戻ることにしました。昨日の下りのことを思い充分に時間をとり休むことをしてでかけました。
木道石ころ道を滑らないように一歩一歩踏みしめ注意して帰りました。
お陰で9時頃鳩待峠に着きました。
茶屋ではすっかり汗で濡れた下着、その他の衣類を変えて冷たくて風邪をひかぬように、セ−タ−の防寒具もつけました。
思ったよりも上りのほうが昨日の下りよりも難儀で無いようなきがしました。
小型バスで戸倉温泉に戻り早速暖かい温泉に入り疲れを癒しました。
昼過ぎ1時にまた大型バスで帰途につきました。
前から一度尾瀬ケ原に行きたいとおもっていましたが今回やっと念願をはたしました。大変きついコ−スでしたがお蔭様で首尾よく無事元気で尾瀬ケ原を散策できたことは私にとって非常な喜びでした。感謝の念で一杯です。
このツア−に参加できたことを心より有難く嬉しく思いました。
右に女性的な美しい容姿の浅間山、左に男性的な厳しい妙義山も私にとってきわめて対称的で初めての素晴らしい眺めでした。
妙義山の麓横川のSAで休憩しました。
有名な釜飯弁当は上信越自動車の上り側で駄目、下り側で有名な達磨弁当、
お土産を求めました。
以前碓井峠は非常な難所でした。今では便利になりいくつものトンネルを通り関東よりアットゆうまに信州佐久平にはいりました。
予定通りに名古屋に10時頃到着しました。
追記 今回のツア−でBクラスの女性の方が不幸にも湿原の木道で脚を滑らし
骨折の事故がありました。幸いにも救急ヘリで沼田の病院に搬送しました。
手当てが極めて早く、怪我も軽くて不幸中の幸いでした。
ヘリの搬送は12万円とのことでした。帰り回り道して骨折の女性をバスに乗せて帰ってきました。
尾瀬散策の必ず守るル−ル 厳しく厳守されていました。
1木道以外の湿原には絶対入らない。
2自分の持ってきたゴミは全て自分もちかえる事
3木道は右側通行を基本登り優先
4動植物を取ったり、折ったり、捕まえたりしない。
5山小屋の風呂では石鹸、シャンプ−を使用しない事。
親しい草枕の会より尾瀬散策のお誘いをうけました。
かねてより一度は是非尾瀬の湿原を散策して写真も撮りたいと念願
していました。 しかしいろいろの方々より余ほどの健脚でないと
相当に厳しく大変であるときかされていましたので、参加を迷いました。
早速幹事の方にその旨お話しまして伺いました。
尾瀬ケ原散策のコ−ス距離・所要タイムの詳細な計画書を頂き更に詳しく
お話をお聞きしました。
鳩待峠〜山ノ鼻間は標高差190m程の下り(帰りは登り)にて、尾瀬ケ原は
木道の平らなみちです。歩く距離は鳩待峠より見晴らしまでの最短距離で
9.3kmです。余り歩けない人は超ゆったりコ−スでAコ−スにて山ノ鼻付近
を中心に好きなだけ自由に散策が楽しめます。勿論山ノ鼻付近のみにても
尾瀬ケ原の景色、雰囲気は充分に楽しめますとお話を頂きました。
健脚で自信のある方は至仏山、平滑ノ滝、三条の滝に行かれる方はそれなり
準備して下さい。事前の体力を確認して挑戦して下さいと説明を頂きました。
B,Cコ−スの選択はよく検討して下さいとのことでした。
私と家内は良く考えて2人とも参加することにきめました。
結局いろいろの方々のアドバイスもあり腰も脚も充分でなく家内は止めることにいたしました。
21日22日23日の2泊3日の旅でした。23人、大型デラックスバスで8時出発、中央自動車道、長野自動車道、上信越自動車道、関越自動車道沼田のICで降りて戸倉温泉に16時半頃到着しました。
戸倉温泉少し前 片品川の吹き割れの滝を観光しました。
約30分ガイドさんが明日尾瀬散策の脚慣らしのためと話していました。
片品川の川底が長年月の間に変動して出来た全く落差の殆どない珍しい滝で
した。大勢の観光の人々で大変なにぎわいでした。水量は豊富、変わった眺め。
翌日戸倉温泉を6時30分小型バスに乗り換えて出発しまして約7時に鳩待峠
に着きました。
7時10分1591mの鳩待峠を出発尾瀬入り口の山ノ鼻1400m3.3kmの下り道
カメラ一式、防寒具、洗面具、三脚、杖での下り道はところどころ石ころみち
大部分は木道道で予想以上に厳しく大変でした。休み休みして2時間半ぐらいかけてやっと入り口につきました。Aコ−スは私たち9人他B,C,Dコ−スの
健脚で自信のある人達でした。
トリカブトの花 峠を降りるときに両側に可憐な紫の花が咲いていました。
全くカブトの姿にソックリでした。猛毒の花です。すれ違いの物知りらしき人
のお話では日陰の花は濃い紫色で、陽のあたるのは薄い紫色と話されました。
何枚も写真におさめました。
山荘は3軒ありました。
山の鼻山荘には若かったころの宿泊された皇太子様、また高松宮様のお写真が入り口に掛けてありました。
荷物は山荘においてカメラ関係とお茶弁当のおにぎりだけで待望の尾瀬沼の湿原を牛首方面にゆっくりとでかけました。
大勢の観光の方々で賑やかでした。まるで都会の雑踏ぶりでした。
花のシ−ズンは終わっていました。水芭蕉も葉っぱのみで残念でしたが、それでも尾瀬ケ原の草もみじが黄褐色に染まり池塘に写す秋の静けさ、白樺の白い幹、いたるところに池塘(高層湿原の池、草原が超年月に枯れて堆積して高くなり草原のない所低いままで雨水が溜まって池になる。)大小約1500箇所湿原の池があり睡蓮の花も咲いていました。
みやまリンドウの紫の花はとても綺麗で高層湿原の懐かしい花でした。
燧ケ岳、反対側には至仏山が姿をあらはし木橋をゆっくり歩き、写真も撮り
充分に尾瀬の湿原を楽しみました。
燧ケ岳(ヒウチガタケ)標高2356m東北、北海道では最高のお山との事。
至仏山(シブツザン) 標高2228m 健脚方の登山コ−スに入っています。
時々大きなガスボンベ、人の背倍ぐらいの荷物を担いだ人にあいました。
一切の車は禁止、全ての荷、生活用品は皆この方たちのお世話になっているのだそうです。帰って広辞苑で調べましたら歩荷(ボッカ)ということがわかりました。山を越えて荷を運んだり、山小屋に物資を運んだりすることを仕事とする人とありました。
強力は登山者の荷を負い山を案内する人で区別するとありました。
晩方はさすが冷えて寒く、少し小雨で本当に残念でした。本当なら満月で夕闇の尾瀬ケ原の写真も楽しみにしていましたのですが。
夕食を済まし暖かいお風呂に入り、ラジオ、TVもなにもなく疲れを少しでも癒したいと早く休むことにしました。
翌日も早朝少し小雨でした。6時に朝飯を済まし7時前山鼻山荘を出発して鳩待峠に戻ることにしました。昨日の下りのことを思い充分に時間をとり休むことをしてでかけました。
木道石ころ道を滑らないように一歩一歩踏みしめ注意して帰りました。
お陰で9時頃鳩待峠に着きました。
茶屋ではすっかり汗で濡れた下着、その他の衣類を変えて冷たくて風邪をひかぬように、セ−タ−の防寒具もつけました。
思ったよりも上りのほうが昨日の下りよりも難儀で無いようなきがしました。
小型バスで戸倉温泉に戻り早速暖かい温泉に入り疲れを癒しました。
昼過ぎ1時にまた大型バスで帰途につきました。
前から一度尾瀬ケ原に行きたいとおもっていましたが今回やっと念願をはたしました。大変きついコ−スでしたがお蔭様で首尾よく無事元気で尾瀬ケ原を散策できたことは私にとって非常な喜びでした。感謝の念で一杯です。
このツア−に参加できたことを心より有難く嬉しく思いました。
右に女性的な美しい容姿の浅間山、左に男性的な厳しい妙義山も私にとってきわめて対称的で初めての素晴らしい眺めでした。
妙義山の麓横川のSAで休憩しました。
有名な釜飯弁当は上信越自動車の上り側で駄目、下り側で有名な達磨弁当、
お土産を求めました。
以前碓井峠は非常な難所でした。今では便利になりいくつものトンネルを通り関東よりアットゆうまに信州佐久平にはいりました。
予定通りに名古屋に10時頃到着しました。
追記 今回のツア−でBクラスの女性の方が不幸にも湿原の木道で脚を滑らし
骨折の事故がありました。幸いにも救急ヘリで沼田の病院に搬送しました。
手当てが極めて早く、怪我も軽くて不幸中の幸いでした。
ヘリの搬送は12万円とのことでした。帰り回り道して骨折の女性をバスに乗せて帰ってきました。
尾瀬散策の必ず守るル−ル 厳しく厳守されていました。
1木道以外の湿原には絶対入らない。
2自分の持ってきたゴミは全て自分もちかえる事
3木道は右側通行を基本登り優先
4動植物を取ったり、折ったり、捕まえたりしない。
5山小屋の風呂では石鹸、シャンプ−を使用しない事。
近江八幡掘り
水郷と商屋の町。近江八幡 陶器の里。信楽
観光バス 3台 3月26日 名駅西口より8時30分出発
メモリアルでは14名参加 コダック撮影会も兼ねているとのこと
近江八幡の水郷めぐり 前に友人と写真を撮りに2回ほどきました。
市営観光駐車場につきました。 約3時間の観光予定
駐車場より撮影ポイントを西の湖水郷地帯にえらびました。
約3キロ 30分ぐらいの距離 サクラはまだはやくて駄目 水の浄化であくまで
手こぎにこだわって。2月になるとヨシの野焼きがおこなわれるときいています。
行楽客が水郷メグリを屋形舟で楽しんでいました。
予定の場所でまつこと約1時間半 まつとなかなか屋形船はやってきませんでした。
やっとアシのなかを2艘の屋形船が観光客を乗せてやってきました。
橋の上より早速シャッタ−をきりました。チャンス到来といろいろの角度よりカメラに
おさめました。そばで畑のていれのオバサンからも待ったカイがありましたと喜んで
もらいました。以前の経験がイキテきました。
かわらミュ−ジアムまで歩いてきました。日曜日でもあり大勢の観光客、自家用車で溢れていました。日牟礼八幡宮の前八幡堀が次ぎの撮影ポイントでした。
約4キロの道のり、困ったこととあきらめていましたところ、小型車のオバサンがこられておねがいしましたら乗せて貰い本当にラッキ−おお助かりでした。八幡堀まえで下ろして戴き、丁重にお礼を申し上げました。
八幡堀 豊臣秀次 秀吉の甥 最後は非業の死をとげましたが、信長亡き後安土ノ町再建するかたちでの城下町を開いて琵琶湖を往来する商船を全て八幡に寄港させるため八幡堀を設けまして大きな商いを行い殷賑を極めたとのことでした。
多くの商人たちも移り住み商業都市が生まれ、近江商人の中核となりました。
白い大きな倉、サクラは早くてダメ、ハナショウブも未だダメ。写真、スケッチのメッカ 多くの観光客でにぎわっていました。 何枚も撮りました。サクラ満開のときは大変な人出で大賑わいのことと思いました。
前にもよりました堀のほとり、茶寮浜くらで休憩、美味しい食事で疲れをいやしました。
信楽 約一時間でつきました。
やきものの町 1260年の伝統 日本六古窯の一つ 以前にもきたことがありますが、おおきなお店には大小のタヌキの陶器がところせましと並んで壮観でした。
大勢の観光客で賑わっていました。
陶器の作品 タヌキの陶器、イロイロの作品をカメラにおさめました。
帰りは東名阪にて戻りました。関のインタ−で柿の葉スシをもとめました。
途中渋滞でよていより約1時間ばかりおくれてJR西口に戻りました。
以前にも出かけたところでしたが楽しい旅でした。
観光バス 3台 3月26日 名駅西口より8時30分出発
メモリアルでは14名参加 コダック撮影会も兼ねているとのこと
近江八幡の水郷めぐり 前に友人と写真を撮りに2回ほどきました。
市営観光駐車場につきました。 約3時間の観光予定
駐車場より撮影ポイントを西の湖水郷地帯にえらびました。
約3キロ 30分ぐらいの距離 サクラはまだはやくて駄目 水の浄化であくまで
手こぎにこだわって。2月になるとヨシの野焼きがおこなわれるときいています。
行楽客が水郷メグリを屋形舟で楽しんでいました。
予定の場所でまつこと約1時間半 まつとなかなか屋形船はやってきませんでした。
やっとアシのなかを2艘の屋形船が観光客を乗せてやってきました。
橋の上より早速シャッタ−をきりました。チャンス到来といろいろの角度よりカメラに
おさめました。そばで畑のていれのオバサンからも待ったカイがありましたと喜んで
もらいました。以前の経験がイキテきました。
かわらミュ−ジアムまで歩いてきました。日曜日でもあり大勢の観光客、自家用車で溢れていました。日牟礼八幡宮の前八幡堀が次ぎの撮影ポイントでした。
約4キロの道のり、困ったこととあきらめていましたところ、小型車のオバサンがこられておねがいしましたら乗せて貰い本当にラッキ−おお助かりでした。八幡堀まえで下ろして戴き、丁重にお礼を申し上げました。
八幡堀 豊臣秀次 秀吉の甥 最後は非業の死をとげましたが、信長亡き後安土ノ町再建するかたちでの城下町を開いて琵琶湖を往来する商船を全て八幡に寄港させるため八幡堀を設けまして大きな商いを行い殷賑を極めたとのことでした。
多くの商人たちも移り住み商業都市が生まれ、近江商人の中核となりました。
白い大きな倉、サクラは早くてダメ、ハナショウブも未だダメ。写真、スケッチのメッカ 多くの観光客でにぎわっていました。 何枚も撮りました。サクラ満開のときは大変な人出で大賑わいのことと思いました。
前にもよりました堀のほとり、茶寮浜くらで休憩、美味しい食事で疲れをいやしました。
信楽 約一時間でつきました。
やきものの町 1260年の伝統 日本六古窯の一つ 以前にもきたことがありますが、おおきなお店には大小のタヌキの陶器がところせましと並んで壮観でした。
大勢の観光客で賑わっていました。
陶器の作品 タヌキの陶器、イロイロの作品をカメラにおさめました。
帰りは東名阪にて戻りました。関のインタ−で柿の葉スシをもとめました。
途中渋滞でよていより約1時間ばかりおくれてJR西口に戻りました。
以前にも出かけたところでしたが楽しい旅でした。
瀬戸内美術館巡り
瀬戸内美術館巡り
A 事の始まり
1 昨年の松坂屋での一中会で園田君が大塚美術館はすばらしいよ。パンフレットを見せて説明して一度是非行ったらと話してくれた。
2 次に小森さんの友人村上公一氏を紹介されました。
氏は名古屋在住、村上水軍の末裔、能島の村上水軍資料館の館長もされています。ロ−タリ−で小森さんと一緒、16代目末裔、土地の有名人。
東急ホテルで紹介され食事を共にし直ぐ資料館に電話されました。
また懇意の旅館に来島海峡の新鮮な魚を値打ちにと手配して貰いました。
3 次に昨年三菱大幸会で、高松のダイヤデ−ゼル販売四国機械KK会長木村寿雄様より大塚美術館および開通したしまなみ海道は一見に値するとのお話をききました。最大級の賛辞でした。
B 旅の企画
ムギ一のメンバ−有志と相談して計画をたて三菱菱興の支援を得てまとめました。
行き 神戸まで新幹線
帰り 広島よりのぞみ
途中は二階つき、サロンの用意された豪華バス ずっと貸切
大塚美術館 半日以上充分に時間をとること。
美術館、博物館を重点。
宿泊、 道後温泉 厳島 の二泊 最高の旅館。
C 実施
今年の4月19,20,21日に決定
昨年の秋種子島、屋久島とほぼ同じメンバ−約30人奥さん同伴もあり、家内の染めの趣味仲間友人
D 内容
世界一の吊り橋(明石海峡大橋)を通り鳴門の大塚美術館を見学しました。
想像していたのとは全く異なり壮大さに圧倒されました.
世界の名画が実物大でしかも美術館にいろいろ分散されたものが同じ所で
一度に鑑賞できることです。トレド。ル−ブル。オルセイ。ボストン。
等の美術館に行くことなく。約3000年におよぶ西洋美術史
の代表名画を原寸大に拡大して展示されていることです。
ルネサンス期ミケランジェロによる礼拝堂の壁画、(最後の審判)天井画
(天地創造)ほか古今の名画が実物大陶板で再現されていました。
これらは1000年、2000年経っても褪せることなくそのままの姿で残るに違いないと説明されました。信楽のセラミック工場で作成されたとのことでした。
展示方法は又すばらしくユニ−クなものです。
環境展示 古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごと、そのまま再現した
今までにない立体展示。
系統展示 古代より現代に至るまでの西洋美術の変遷が美術史的に理解
出来るようテ−マ−に展示されている。
テ−マ展示 人間にとって根源的、普遍的な主題など時代を超えて表現
方法の違いを比較できる。
時間が足りないばかりでした。
道後温泉に一泊して翌日は開通したばかりのしまなみ海道を通りました。
村上水軍の末裔村上さんのお指示により能島水軍ロマンの里、水軍資料館を丁寧にお案内してもらいました。
古くからヨ−ロッパとの交易、それらの古文書、珍しい品々、元寇の役での活躍、源平の戦いでの奮闘、毛利元就えの支援(昨年NHK大河ドラマ)、朝鮮特使の支援援護等々海賊とのイメ−ジばかりで先入観とは全く異なり別の日本歴史の一面をしらされ目より鱗が落ちるおもいでした
日露の日本海での戦争で東郷元帥の採用戦術が古文書にはっきりと明記されていました。司馬遼太郎の本にものっています。(街道を行く)
大三島の大山祇神社は壮大なお社でした。古くから海賊、多くの武将の大きな信仰を集めたものものでした。
その宝物館では武具、甲冑の国宝、重要文化財を拝観しました。
生口島は平山郁夫画伯の生まれた島で美術館をみました。最近松坂屋の美術展で平山画伯のしまなみかいどう展がありました。
再度の鑑賞に思い出し感動しました。
昼は伯方島光藤旅館で自慢の来島海峡の新鮮な魚料理を頂き全員大満足のようでした。前記の村上氏よりの直接電話もありそこの奥さん自慢の料理でした。
世界文化遺産厳島では少し雨模様でしたがライトアップの赤い大鳥居、広島、宮島の夜景も見事でした。夜の写真の出来栄えが楽しみです。
最後は西日本屈指のア−トミュウジアム広島美術館でした。
見事な絵画、広大な自然の日本庭園、小雨のなかの散策、庭園の茶席での一服、あまりのみごとさに感動で立ち去りがたい思いでした。
私の感じでは 名古屋の白川の黒川紀章美術館と比べて内容、展示、
建物、自然の広大な日本庭園の配置などのすばらしさは比較にならない
とおもいました。
新幹線で帰り名古屋駅ツインタワ−でお別れパ−テ−で解散しました。
E 備考
1 今回のメ−ン 鳴門の大塚美術館、しまなみ海道、村上水軍
博物館、大山祇神社宝物館、平山美術館、厳島神社、厳島広島の夜景、
広島美術館 伯方島での新鮮な魚料理
2 しまなみ 海道 愛媛県今治と広島県尾道を7つの橋で6つの島を結ぶ
3 中菱の社長林さんよりききましたが、元社長河野さんの先祖は村上水軍の武将で元寇の役では大活躍されたとのこと
大山祇神社は河野さんの氏神で信仰のあついところとか。
4 しまなみ 海道での大橋の夜景の写真、来島の新鮮な魚食べに再度でかけたいと思っています。木村会長様のお話とおり素晴らしいところです。
5 ムギ一 62回愛知一中卒業の有志メンバ−で東新町酒場ムギ一で飲み会毎月第三木曜晩の6時よりやっています。10人くらい出てくる。
6 62回卒業生 ムニの会といっています。
以上 浅野 由行
A 事の始まり
1 昨年の松坂屋での一中会で園田君が大塚美術館はすばらしいよ。パンフレットを見せて説明して一度是非行ったらと話してくれた。
2 次に小森さんの友人村上公一氏を紹介されました。
氏は名古屋在住、村上水軍の末裔、能島の村上水軍資料館の館長もされています。ロ−タリ−で小森さんと一緒、16代目末裔、土地の有名人。
東急ホテルで紹介され食事を共にし直ぐ資料館に電話されました。
また懇意の旅館に来島海峡の新鮮な魚を値打ちにと手配して貰いました。
3 次に昨年三菱大幸会で、高松のダイヤデ−ゼル販売四国機械KK会長木村寿雄様より大塚美術館および開通したしまなみ海道は一見に値するとのお話をききました。最大級の賛辞でした。
B 旅の企画
ムギ一のメンバ−有志と相談して計画をたて三菱菱興の支援を得てまとめました。
行き 神戸まで新幹線
帰り 広島よりのぞみ
途中は二階つき、サロンの用意された豪華バス ずっと貸切
大塚美術館 半日以上充分に時間をとること。
美術館、博物館を重点。
宿泊、 道後温泉 厳島 の二泊 最高の旅館。
C 実施
今年の4月19,20,21日に決定
昨年の秋種子島、屋久島とほぼ同じメンバ−約30人奥さん同伴もあり、家内の染めの趣味仲間友人
D 内容
世界一の吊り橋(明石海峡大橋)を通り鳴門の大塚美術館を見学しました。
想像していたのとは全く異なり壮大さに圧倒されました.
世界の名画が実物大でしかも美術館にいろいろ分散されたものが同じ所で
一度に鑑賞できることです。トレド。ル−ブル。オルセイ。ボストン。
等の美術館に行くことなく。約3000年におよぶ西洋美術史
の代表名画を原寸大に拡大して展示されていることです。
ルネサンス期ミケランジェロによる礼拝堂の壁画、(最後の審判)天井画
(天地創造)ほか古今の名画が実物大陶板で再現されていました。
これらは1000年、2000年経っても褪せることなくそのままの姿で残るに違いないと説明されました。信楽のセラミック工場で作成されたとのことでした。
展示方法は又すばらしくユニ−クなものです。
環境展示 古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごと、そのまま再現した
今までにない立体展示。
系統展示 古代より現代に至るまでの西洋美術の変遷が美術史的に理解
出来るようテ−マ−に展示されている。
テ−マ展示 人間にとって根源的、普遍的な主題など時代を超えて表現
方法の違いを比較できる。
時間が足りないばかりでした。
道後温泉に一泊して翌日は開通したばかりのしまなみ海道を通りました。
村上水軍の末裔村上さんのお指示により能島水軍ロマンの里、水軍資料館を丁寧にお案内してもらいました。
古くからヨ−ロッパとの交易、それらの古文書、珍しい品々、元寇の役での活躍、源平の戦いでの奮闘、毛利元就えの支援(昨年NHK大河ドラマ)、朝鮮特使の支援援護等々海賊とのイメ−ジばかりで先入観とは全く異なり別の日本歴史の一面をしらされ目より鱗が落ちるおもいでした
日露の日本海での戦争で東郷元帥の採用戦術が古文書にはっきりと明記されていました。司馬遼太郎の本にものっています。(街道を行く)
大三島の大山祇神社は壮大なお社でした。古くから海賊、多くの武将の大きな信仰を集めたものものでした。
その宝物館では武具、甲冑の国宝、重要文化財を拝観しました。
生口島は平山郁夫画伯の生まれた島で美術館をみました。最近松坂屋の美術展で平山画伯のしまなみかいどう展がありました。
再度の鑑賞に思い出し感動しました。
昼は伯方島光藤旅館で自慢の来島海峡の新鮮な魚料理を頂き全員大満足のようでした。前記の村上氏よりの直接電話もありそこの奥さん自慢の料理でした。
世界文化遺産厳島では少し雨模様でしたがライトアップの赤い大鳥居、広島、宮島の夜景も見事でした。夜の写真の出来栄えが楽しみです。
最後は西日本屈指のア−トミュウジアム広島美術館でした。
見事な絵画、広大な自然の日本庭園、小雨のなかの散策、庭園の茶席での一服、あまりのみごとさに感動で立ち去りがたい思いでした。
私の感じでは 名古屋の白川の黒川紀章美術館と比べて内容、展示、
建物、自然の広大な日本庭園の配置などのすばらしさは比較にならない
とおもいました。
新幹線で帰り名古屋駅ツインタワ−でお別れパ−テ−で解散しました。
E 備考
1 今回のメ−ン 鳴門の大塚美術館、しまなみ海道、村上水軍
博物館、大山祇神社宝物館、平山美術館、厳島神社、厳島広島の夜景、
広島美術館 伯方島での新鮮な魚料理
2 しまなみ 海道 愛媛県今治と広島県尾道を7つの橋で6つの島を結ぶ
3 中菱の社長林さんよりききましたが、元社長河野さんの先祖は村上水軍の武将で元寇の役では大活躍されたとのこと
大山祇神社は河野さんの氏神で信仰のあついところとか。
4 しまなみ 海道での大橋の夜景の写真、来島の新鮮な魚食べに再度でかけたいと思っています。木村会長様のお話とおり素晴らしいところです。
5 ムギ一 62回愛知一中卒業の有志メンバ−で東新町酒場ムギ一で飲み会毎月第三木曜晩の6時よりやっています。10人くらい出てくる。
6 62回卒業生 ムニの会といっています。
以上 浅野 由行
事の始まり日中友好とは
事の始まり 真の日中の友好
さて私ごとで恐縮です。
私は中支派遣軍第13軍野戦自動車廠に技術将校としてはけんされました。
終戦の翌年復員するまで5年有余従軍しました。その間作戦にも移動修理班の隊長として参加しました。そのせいか中国問題には極めて関心もありました。
靖国問題、中国関連の厳しい外交問題等今より10数年前より私のライフワ-クとして日中の友好
と中国の真実を知りたいと思いました。
日中の専門の学者討論会、学校のゼミ、講演会、図書館にも、また中国の人、日本の方の本も多く勉強させてもらいました。
私の学校時代の同級生、彼は日中友好の大きな近代的病院を日本のお金約10億で北京に設立の責任者として5年有余活躍して、クラス会で生の実態の話も聞くことができました。
奥地農村の1人っ子政策の矛盾、頼りになるのはファミリだけ、無籍の沢山の子供達、農村と沿岸都市には戸籍が違い入るのは出来ない、同じ国の中でも。折角の患者ようの小麦、米までも闇に流してしまう腐敗、国家ぐるみの援助物資の横流しなど。
次々との生の実態には驚きの連続でした。
観光のショウウィンドの話とは違い、中国の実態、対応についても指針を受け、またいたく感動を覚えました。
上海、ウ-スン、プ-トン(浦東)、ホンキュウ(虹口)、蘇州、ムシャク(無錫)、杭州、南京等懐かしい所ばかりです。私の部隊、の補給基地、移動修理の基地でもありました。
本当の真の日中友好を心より願っております。
そのためにも中国の真実をよく知り理解することが極めて大事と思い一文を寄稿することにしました。少しでも理解いただければ幸せと思います。
平成18年11月17日 浅野 由行 記す
さて私ごとで恐縮です。
私は中支派遣軍第13軍野戦自動車廠に技術将校としてはけんされました。
終戦の翌年復員するまで5年有余従軍しました。その間作戦にも移動修理班の隊長として参加しました。そのせいか中国問題には極めて関心もありました。
靖国問題、中国関連の厳しい外交問題等今より10数年前より私のライフワ-クとして日中の友好
と中国の真実を知りたいと思いました。
日中の専門の学者討論会、学校のゼミ、講演会、図書館にも、また中国の人、日本の方の本も多く勉強させてもらいました。
私の学校時代の同級生、彼は日中友好の大きな近代的病院を日本のお金約10億で北京に設立の責任者として5年有余活躍して、クラス会で生の実態の話も聞くことができました。
奥地農村の1人っ子政策の矛盾、頼りになるのはファミリだけ、無籍の沢山の子供達、農村と沿岸都市には戸籍が違い入るのは出来ない、同じ国の中でも。折角の患者ようの小麦、米までも闇に流してしまう腐敗、国家ぐるみの援助物資の横流しなど。
次々との生の実態には驚きの連続でした。
観光のショウウィンドの話とは違い、中国の実態、対応についても指針を受け、またいたく感動を覚えました。
上海、ウ-スン、プ-トン(浦東)、ホンキュウ(虹口)、蘇州、ムシャク(無錫)、杭州、南京等懐かしい所ばかりです。私の部隊、の補給基地、移動修理の基地でもありました。
本当の真の日中友好を心より願っております。
そのためにも中国の真実をよく知り理解することが極めて大事と思い一文を寄稿することにしました。少しでも理解いただければ幸せと思います。
平成18年11月17日 浅野 由行 記す




